このコーナー 第3回目は。
3号機 = フェンダージャパン JB75-80
現存する最古のやつです
購入年: 1988年
購入状態: 新品
定価: 80000円
(当時のジャパンは型番のうしろ2桁が定価でしたよね)
実買価格: 68000円
改造箇所: ピックガード(DIY)
配線・ポッド(原宿・松下工房様)←無謀・・・
・・・まさに知らぬが仏でっさ。
今思い出しても恥ずかしい。
さて。
話は前回より続きマス。
高校卒業して進学し
憧れだった
学生バンドサークルに加入して
最初に買った記念すべき初号機は
イバニーズ ミディアムスケール
このイバニーちゃんを里子に出して
これを買いました
やっぱりフェンダーが欲しくてねぇ
んで、
ドクタードーナツの夜勤でバイトして
里子と合わせたなけなしの金で
この3号機を手に入れました
たぶんイケベ楽器の通販で
このころから既に
現物を全く見ないで
カタログや写真だけで
買い物してました
この話は後日、改めて出てきます
もちろん、試奏もなし
因みに。
これからも我が相棒を随時掲載予定ですが
ただの1つも
そう1つも
試奏して買ったものはなし
要するに
見た目勝負なんですね
買って後悔したこと
とにかく、重い。
見てのとおりホワイトアッシュですが
現行のようなライトアッシュではなく
こいつはマジで重いです
5曲で肩が凝ります
その代わり、ピックだと硬くてパキーンとした
音が出ます
指だとモコッとしないで輪郭のある
音が出ます
オリジナルは現行品と同じく
ピックガードがホワイトでしたが
ここは差別化を図るべく
買って間もないうちにベッコウに取り替えました
それから
上に書いてますが
わたくし、このパキーンとした音が
一時期、嫌いになったことがあるのです
トーンを回してもほとんど変化無し
で。
こともあろうに原宿の松下さんへ持ち込んで
こう言い放ちました
トーンの差がもっとはっきり調整出るようにしてちょうだい。
・・・店員さんは呆れたでしょうね
このくそガキがぁ
フェンジャパ持ってきてよくもぬけぬけと
この聖なる地へと
えーと。
詳しくは覚えていませんが
トーンポッドとシールドを替えてもらって
コンデンサも替えたのかしら
10000円余り取られたかも
電話があって、店へ取りに行ったら
店員さんがいいました
お客さん、とりあえず試奏してみて下さい
ブスッと刺してプチッとONされて
はい、どうぞ、と。
あ、ああ。
ボンボンボーン
い、いいっすね
フーーーーーン
かなり見下されたでしょうね、店員さんに。
もしかしたら
こいつ、何もわかんないからさぁー(←共通語風)
とかいうことで。
実は何にも作業してなかったりして。
そんなことないですよね、松下さん。
・・・でも、ホントにわからんかったんです・・・
さて、裏側はといえば↓
古い順にいきますと
左は買ってすぐだったか
地元の友人が当時のワープロとプリンターで
作ってくれたステッカー
パンクですよね
ぶつけて表面のクリアーが割れたので
絆創膏代わりにはりました
右のは1989年だったか
ARB全国ツアーの最終日に
代々木体育館で演ったときの
「ARB大会場中毒」ステッカー
ほんで真ん中は
ROOSTERのデビューアルバムに
入ってたステッカー
貼るとこなくてここに収まった感じ
いずれも裏に貼るとこが
小心者でしょ
彼女ももう20年を越えました
最近はさすがに出番が減りましたが
出演回数はこいつが圧倒的に一番です
さて。
前回も書きましたが
ボウイ勘違いにより
1回のライブで解散した
ザ・ズッコケターズ
(5-2)+1=4
BOWIEが去ってBOOWYが残り
新しいドラマーとして新規加入したのが
ひょうたん君(経済学部)
彼は後に
「かねやん」と名前を変えますが
バンドに加入した時点では
ひょうたん君(経済学部)
新規活動するにあたって
新しいバンド名をということで
付いた名前が
ZIGGY LIGGY
!! と思ったあなたは
かなり年季の入った布袋ファンです
そんな訳で1年生の終わりまでは
主にBOOWYのカヴァーを演りながら
次第に
レッドウォリアーズ
ストリートスライダーズ
ルースターズ
などに変化していきます
この、嗜好変化に伴って
思い切って買ったのが
このベースです
結局、学校を卒業するまで
このフェンダージャズがわたくしの
トレードマークになったかならなかったか
このベースで一番の思い出の曲は
Foolish Gambler / Red Warriors
http://www.youtube.com/watch?v=R1oOwrZ0T08&feature=related
↑ ライブじゃなくて、オリジナルの音が好きなんです。
今宵はここまでにいたしとう存じます・・・
[0回]
第2回は「現存しない2号機」
Ibanez RB-850 / Medium scale
Color: White
購入年: 1987年
購入状態: 新品
定価: 60000円?
実買価格: 42000円
改造箇所: なし
必死で情報を探しましたが
RB-850でミディアムスケールが
あったのかなかったのか
断定できませんでしたが
わたくしが買ったのは間違いなく
ミディアムスケールでした
前日の初号機はあえない最期を
遂げましたので
上京の記念にと
まともなやつを1本買いました
高校が自由登校になったらみんな
運転免許を取りに行くのが
田舎の慣習でしたが
ひねくれ侍のわたくしは
ひとりアルバイトに明け暮れました
マーマレードの皮作り・・・
機会があったら話しましょ
その時の後遺症で
寒くなると未だに左手首が
腱鞘炎を誘発するのです
マーマレードで一儲けしたお金で
JBLのCONTROL 1 というスピーカーと
これを買いました
確か、KEYの通販だったはずです
学生時代は初めの2年間
寮に入ったのですが
この2号機がわたくしの手元に
届いて程なく
学生寮の郵便&荷物置き場に
フェンダーの箱が届いていました
むっ、
誰か他にも楽器やるやつがおるぞ
偶然にもこのギターの所有者とは
その後同じバンドサークルに入り
この歳になった今でも交流が
2008年2月 ポリス再結成
おっさん二人が大阪で合流して
涙してきました
独身の板前です
さて、
新しくベースも買ったので
憧れの音楽サークルへ
わたくしの入った学校には
軽音楽部
ハワイアンクラブ
フォークソング部
そして
ミュージッククリエーション チョウィンブジュ
(↑名前は伏せてますが、韻は合ってます)
全部で4つのサークルがありました
この中で部費が一番安かったのが
このチョウィンブジュでしたので
ここへ入部届けを出しに行きました
ちなみに・・・
上記4団体の活動はと言えばまさに
「名は体を全く表さず」
軽音楽部=ここはまあ許してやる
ハワイアンクラブ=ヘヴィメタルサークル
フォークソング部=浜省とパンクサークル
そして、チョウィンブジュは
その名から連想される英国ナイトとはほど遠い
なんでも楽団
みんな、うそばっかり。
さて、バンド組む前に
学生といえば恒例の
新歓コンパ
ここで初めて日本酒というものを
拝領致しまして
えらい目に遭いました
それはさておき
新入部員どうして意見交換して
それぞれバンドを組むことに
バンド経験なんて無いのに
「わたくし、ベース担当です」
などと放言したもんだから
早い目に加入が決まりましたよ
ひとバンド目は・・・
ジューダス・プリースト コピーバンド。
高校時代のメタルメイニアを引きずりつつ・・・
L.A.メタルも演りましたよ
そして、もうひとバンド・・・
当時のトレンドと言えば
BOOWYとバービーボーイズ
同じ学部の同じクラスの3人が
「ボウイをやろう」と
一つのバンドを組もうとしていました
そこへわたくしものっけてもらうことに
高校卒業間近に
たまたま友人に聞かせてもらった
BOOWYにちょっと興味を持っていました
だから。
当然わたくしはBOOWYを演るバンドなのだと
信じて疑わなかった
ところが。
いざバンドとして組んでみると
メンバーの中に大きな隔たりが
あることに気付きました
「ボウイをやろう」
ボウイ①=BOOWY
ボウイ②=DEVID BOWIE
・・・ええ、おんなじですね
どちらも「ボウイ」であることに
間違いありません。
さあ、ここからが凄いです
①を知ってる人は②を知らず
②を知ってる人は①を知らず
あ、わたくしですか?
わたくしは中学時代に
②のアルバム「Let's Dance」と「Tonight」は
しっかり押さえてますから
因みに、上述のフェンダー野郎は
②のほうでした
余談だらけですが、彼が買った
フェンダーのギターとは
ピンクペイズリー柄のテレキャス
・・・いいセンスです。
演奏曲決めはもめにもめて
というか、前述のクラスメイト3人が
もめにもめて
わたくしと、ドラムの和尚は
それに従うという形になりました
初ライブの正確なリストは忘れましたが
とにかく
『Ziggy Stardust 』と
『Let's Spend the Night Together』 のBOWIEバージョンと
『イメージダウン』と
『No N.Y.』が
ワンステージで演奏されるという
「ボウイ」好きにはたまらない
内容となりました
・・・さて、話は戻って
わたくしにとっての
記念すべき初ライブを飾ったのが
このアイバニーズでした
もちろん、当時は「イバニーズ」ですよ
ちゃんとやったことないので
とにかく弾きやすいようにと
ミディアムスケールを買いました
ホントに弾きやすかったですよ
初号機がアルプスだっただけに。
ジューダスももちろんこれで
演奏しました
オールマイティにこなせる
コストパフォーマンスに優れた
初心者向けの名器でした
ところが。
購入後約1年ほどで、欲が出て
このあと登場する3号機購入の頭金として
このイバニーズは
同じサークルの水戸天狗党の一派に
半値くらいで売りました
故に、「現存しない2号機」
今はどこで何をしているでしょうか・・・
このベースで弾いた 思い出の曲は
「Breaking the Law / Judas Priest」
http://www.youtube.com/watch?v=psTUiQzNoxw
「Let's spend the night together / Devid Bowie」
http://www.youtube.com/watch?v=fnDv_waJNYw
「Let's spend~」はわたくしが耳コピした
これまでの数々のリストの中でも
最も難しかった曲のひとつです
音源がライブバージョンで
状態が悪いのも原因のひとつです
巻き戻しすぎてテープ壊れました・・・
いい思い出です
[0回]
その昔、マッドネスというグループがおりました
ホンダシティーというクルマのCMに
あれ?こないだもホンダのクルマだったような?
・・・ 出てましたから、おっさんおばはんは
知っているかも
そのマッドネスの曲リストにあったのが
「Our House」
♪ Our house, in the middle of our street ♪
ひえー、わたくし今までずっと
♪ Our house, in the middle of about the street ♪
と歌い上げていたのに・・・
わたくしは未だに借家暮らし
いろんな借家を転々としてきました
アパート的な。
でも、今の奉公先はそんな哀れなわたくしを
優遇して下さいまして
初めて一軒家に住まわせてもらってます
感謝感激、雨霰。
家賃、金参万円也。
家持ちさんにときどき言われるのです
家賃払うても後になんにも残らんよ
早よせんと、ローン借りられんよなるで
・・・ホットイテチョーダイ。
わたくしの住んでるような
カントリーサイドでは
若いうちから家をたてることは
ごくごくあたりまえ
家建ててようやく一人前
人口が少ないので借家単価が
物価に比べて高いのです
それとカントリーサイドだから
市外局番が2つや3つの都会では
2DKのマンションしか買えない金でも
そこそこの一軒家が建つという
どれ、よっこいしょと
「あなたにもマイホームが 持てるチャンス!」
でも、うち5人家族だから
My Home よりも
Our House のほうが
「あなたにもアワハウスが持てるチャンス!」
でも、家の名義は
お金を払った自分やから
「あなたにもマイハウスが持てる チャンス!」
??
そもそもHomeとHouseの違いって
なんだしょう?
仕事でお世話になりっぱなしの
Yahoo! 辞書さまより下記引用
homeは自分が居住している家,
が基本的な意味.
いっしょに住む家族も含めて家庭という感じで
用いることも多い.
houseは人々がいっしょに住む建物としての家,
が基本的な意味.
いっしょに住む人々を集合的にさすこともある.
・・・う~ん、
・・・つまり、
家を建てちょる間は House
家ができて、中で生活を始めたら Home
ということは
「あなたにもアワハウスが持てるチャンス!」
もしくは
「あなたにもマイハウスが持てるチャンス!」
・・・いやいや、やっぱり、
「貴方にも持ち家取得の好機」
こう言えばいいのです
ここは日本だからね
どれ、よっこいしょと
<次回、よっこいしょのその先>
乞うご期待!!
[0回]
さて、前号のような訳で
なんとかベースを借りることに
成功したわたくし
アンプは本番までいらないので
とりあえず、黒光りさんを
家に持って帰りました
しげしげとながめてみると
鉄製の弦が4本
しかも太さがちがう
木製の腕にはタテに金属棒が打たれ
だいたいひとつおきに
丸いマークが
はめ込まれています
ようするに
左手でここをてきとーに押さえて
右手で弦を弾けば
ボヨーンと音がすると
そういうことね
右手の弾くとこに
なにやら鉄の丸棒がタテに
埋め込まれていますが
あまり演奏には関係なさそうね
ツマミは回せば音が変わる
ステレオアンプとおんなじね
・・・いま思い出すと
すっげー恐ろしいことに
チューナーは存在していなかった
ような気がする
いったい、どうやってチューニングしたか
まるで覚えなし
まあいいかと。
ところで、この「Muscle Daughter」という曲
ベースはただの8ルートベタ弾きならびに
循環コードでしたので
原曲と押さえた音さえ合えば
けっこう簡単にひけるのですよ
ベースを始めようとお考えのそこのあなた
おすすめですよ
それ、ボンボンボンっと
受験勉強、さようならっと。
<さらに次号>
[0回]
さて、前号のようなわけで
バンドデビューは文字通り散々な結果と
なりました
シンセ担当、いま思い出すと
歌メロを 弾いていたような気が・・・
まあ、そもそもコードが弾ける楽器じゃ
なかった訳で
一番マシだったのはドラム
ベースなんか文化祭の翌日には
「アンプのボリュームゼロ疑惑」が
取り沙汰される始末
いまでも「挑発∞」はtraumaと
なっております・・・
さてさて、それから1年が過ぎ
わたくしも3年生となりました
部活動も引退し
受験勉強へとシフト
「選択科目」なる授業が登場します
技術・家庭科・音楽の中から選びます
わたくしは音楽を選択します
たぶん、好きな女子がいたからだと
記憶しています
卒業も近いころ
好きな楽器で好きな曲を発表するという
フリースタイルなお題が出されました
このとき、わたくしと組んだのは
元シブがき隊のひとり
普段はクラスも違うし、それほど仲が
良かった訳ではありませんが、むこうから
誘ってもらいました
課題曲発表!
「100%そうかもね」
ではなく
「Muscle Daughter」 Salon Music
当時ホンダCR-XというクルマのCMソング
「デュエットに夢中」シングルレコードのB面
彼は、わたくしが玩具シンセをもってることに
興味を示していたのでしょう
わたくしはシンセに興味を無くしていました
わしゃ鍵盤にはむいてないけん
いまでもそうです
彼に使ってもらうことにしました
さて、わたくしは何をしましょうか
シブがき隊がシンセに興味があったのと同様
わたくしも興味を持つものがありました
あの日以来、ずっと。
黒くてピカピカ光る、あれ
1回だけボリュームゼロデビューしたあと
さびしそうに部屋のどこかに置かれているはず
ヤマハBB Ⅴ ブラック
発売当時の価格は50000円
黒い画像はなかったので、とりあえずホワイトを。


※メーカー様HPより
ベーアンもヤマハでした
でっかかった
コンボだけど10インチ4発キャビくらいは楽にある
合計で10万は絶対超えてます
お金持ちの元ベーシストに合掌してお願いして
しぶしぶ貸してもらうことにしました
・・・なんでしぶしぶなんじゃ!!
ぜんぜん使うとらんやないか!!
<待て次号>
[0回]
じつはわたくし、ベースが少し弾けます
エレキだけですけど。
コントラバスは無理。あ、ウッドとも言いますか。
趣味と聞かれれば、まずは「ロックバンド」と答えます
特技と聞かれれば、まずは「ベース少し弾く」と答えます
そんな、もう20年以上のつき合いになる
わたくしとベースの関係を
せっかくですから
しばらく連載してみようかと思うのです
初めてベースというものを手に取ったのは、はるか昔
中学3年生のときでした
・・・でも、そこへたどり着くまでには
ドカベンが野球を始める前、柔道部だったくだりから始まるように
少し回り道が必要です。
今回はそこまでのはなし。
わたくしが中学2年のとき、文化祭で仲間とライブをやろうと
いうことになりました
わたくしに回ってきた担当は「シンセ」
シンセティックではありません、 シンセサイザーです
キーボードでもありません、「シンセ」です
当時、YMOにはまっていたので、このバンド話よりも先に
も しかしたら自分で買っていたかも知れません
型式は忘れましたが、コルグのミニ鍵で単音しか出ないんだけど
ちゃんとベンドとかチョークとかできたり
「チュチューン!」とか、ホワイトノイズとかも出せる
いかすやつでした
しばらくして、その文化祭で演奏する曲が発表されました。
「挑発∞」 by シブがき隊。
どっかーん!!
「ちょうはつーらー むげんだーいー」
要するに、シブがき隊の挑発∞をフリ付きで歌うチームの
バックバンドという設定です。
バックバンドのメンバー。
Key:わたくし
Ds:親戚がドラムもってるやつ
B:ベースとベーアン買う金もってるやつ
もちろん、当時はコードもキーもタブ譜もわかりませんから
「ザ・ベストテン」かなんかをビデオレコーダー
当時は20万近くした
に録って、あとはひたすら
耳コピです
米: ↑ココ、覚えといて下さい。出てきますよ
リハ(というより、初合わせでゲネプロ)は、記憶によると
本番のちょっと前と、本番前夜の2回だけ
しかも各10分くらいずつ
ベース担当の自宅応接間で演ったと思いますが
怖いお父さんに「うるさいが」とか言われて終わったような
さて、本番当日。中学校体育館。
前座は、3年生のアコギ弾き語り
曲は今でも明確に記憶しています
「パーンプキンパイトシナモンティーニ」
「バラーノカタチノカクザトウフタツ」
「シーナモンノエダデガラスニサンド」・・・。
・・・当時はこれが誰の歌だか全く判りませんでした
いきなり次元が今へ戻りますが、じつはつい先週
突然通勤中のカーレディオから流れてきました。
そこでわたくしは初めて、この曲のタイトルと歌手を
知ることになったのです・・・「♪ぁパーンプキンパイト・・・」
タイトルなんてそのまんまやし・・・
さて、前座の、って、先輩やんか
の、熱のこもった演奏が終わり、いよいよ出番です。
歌チームはたぶん、1曲目にウルトラセブンのカラオケで
といっても、正確にはミュージックテープで。
振り付きダンスをやったはずです。
これはこれで、なかなかよかった
少なくとも、裏で控えるわたくしはそう思いました
そして、2曲目「挑発∞」by シブがき隊。
の炸裂する時がきました
ドラムのカウント「ワンツースリーフォー!」
!
・・・客席の中学生たちからは
いったいわたしらが何に見えてたでしょうか
2分くらい経ったころ、生徒の列の後方から
先生が両手で
ばってん X
のサインを提示、勢いの収まらない歌チームはたまらず
体育館のひな壇から約2メートル弱下の客席に向かって
全員がジャーンプ。エーックス!
・・・幕が引かれ、全てが終わりました。
幕は強制的に引かれましたが
これがわたくしの、今日まで続くライブ活動の
輝かしき幕開けであ りました
<待て次号>
[0回]
・・・何分、性格が古風なもので
一騎打ちの前には必ず「やーやー我こそは」から入らないと
相手に失礼に当たるのではないか、なんて未だに考える
そんなわたくしは、古い人間です。若い頃から。
で、タイトル説明
一般常識のお有りな方々にはお分かりの通り
為鶏口無為牛後と書いて・・・それ
けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ
と、読みますね
わたくしがこれを座右の銘としてはや数十年が経ちますが
人様に座右の銘を聞かれたことは多分2回だけ。
・・・いいんです、なくてもそんなもん
ケータイアドレスの方が大事ですよ
漢文、覚えてますか?
なんで戻るん?とか
なんで一とか二とか要るん?とか
思った人もおられよう、わたくしのように
その日までは、わたくしも普通に
鶏口となるも牛後となるなかれ
と、書いていました。
そう、その日までは。
ある日、奉公先のご令室から拝領した
とある有名な寺のおっさん*=和尚さんの略称ですよ
えー、そのおっさん直筆の長巻に
為鶏口無為牛後
と書いてありました
米:オリヂナル漢文の頭にある、「寧」は外してありました
一文節として見れば不向きだからでしょうね
おお、こっちのが、かっきー♪
それ以来、わたくしはオール漢字で己の座右の銘を書き
一人悦に入り中ですが
だれにも聞かれないから
だれにも書いたげたことがない
あーもったいない
・・・結局、ただの自己満足
だれにも書いたげないもんだから
折角のオール漢字を忘れないように
自分の手帳に小さく書きました
[0回]